第7章 ものには、それが収まるべき場所がある choiyaki
情報の伝達が速くなり、記録を残す術も発達してくることで、それらをどう保管するか?が問題に。
カテゴリー化してしまっとく?カテゴリー数は膨れる。で、それを全て覚えておくことはできない。
1階層しか扱えない巣箱机やパイルキャビネットならなおのこと。ユーザーの頭の中に蓄えなければいけない知識が多すぎる分類整理は役に立たない。
どう分類整理したかを他の人と共有することも難しい。
取り出したい情報にアクセスしやすいという利点はある。
ファイル・キャビネットなら多階層化できる。
巣箱机と違い、分類項目に制限ない。で、分類をさらに分類できる。
多階層化。
情報が多すぎたら、やはり機能しなくなってしまう。
何階層も辿らないといけないので、情報の引き出しやすさは1階層のものにまける。
分類整理方法として、辞書的なのは使いにくい。というか、単一的な並べ方しかできないと、使いやすくはならない。
マガキンズの商品は辞書に載ってる語彙数より多いが、客は目当ての品物を探すことができる。店員の手助けによって。
商品は、目的によって階層的に整理されている。
店員には担当分野が決められており、その分野の商品ならわかるが他についてはざっくりとしか知らない。
お客が来たとき、店員はざっくりした知識からお客の求めるものがだいたいどの方向にあるか指し示せば、次の店員が引き継ぎ、やがて専門の店員にたどり着く。
データで保管された情報であれば、探すニーズに合わせて並び替えるなりして表示すれば探しやすい。
効用や便利さ、使い勝手において、潜在的な可能性は高い。あとは、使う人のニーズを考慮して適切に作り上げれるかどうか。
choiyaki.iconなかなか難しいところ。ただ、そこまで効率的でないが求める情報は引き出せる、というのはできてるか。マガキンズと並ぶくらいには。
空間的な分類整理はうまくいくときはうまくいくが、うまくいく条件は限定的。
われわれの記憶のように、ある言葉を心の中で記述するだけでビューン!と探し出せる。
ビューン!と行った先になければ、ほしかった情報が得られなければもう一度試せばいい。間違ったなら、修正すればいい。
これが、記述による検索。順序を整える必要はなく、分類整理が必要もなく、いろんな記述によりいろんなルートでたどり着ける検索。厳密さはない。
道具は、厳密ではなく、論理的でもなく、正確でもない人間の能力に適合しなければならない。
電子図書館のアフォーダンスは、それ抜きでは絶対できないと思う仕事をやる気にさせてくれる。
このアフォーダンスは、情報データベースへの新しい電子的なアクセスによって提供される。
最も強力な可能性と、恐るべき危険性を秘めている。
電子データベースの威力・脅威は、莫大な時間をかけなければ集められなかった情報を探し出してまとめてくれるアフォーダンスがある。
が、プライバシーは犠牲になる。データベースに個々人のデータが追加されていき、それが引き出せることにより。
社会は、メリットを追求するためにプライバシーの犠牲というコストを受け入れるのだろうか。
もはや、我々の社会はそれ無しでは機能しない所まで来ている。まだ手があるとしたら、社会を変えること。
choiyaki.iconもはや、社会は変わらんくらいのところまで来ている、と言えそうやけど、このあとの章はどうここからつながっていくのか気になる。